次の選択肢の中から、( )に当てはまる表現として最もふさわしいものを選びなさい。
He mentioned a book ( ) I can't remember now.
a. which title b. with the title which c. in which the title d. the title of which
これはいつのものかわかりませんが、慶応大の入試で出題された問題(一部改)です。
b. は冠詞の用法が間違いで不適
よって、whose titleを前置詞+関係代名詞で言い換えた形のd.が正解となります。
ところが、実はこのd.の選択肢もあまりよろしくない部分があります。
カンマが抜けているのです。
the title以降の関係詞節が先行詞に対して非制限的である上に関係詞が先行詞と離れているため、
カンマが無いとちょっとぎこちない感じになります。
だから、このd.の選択肢はパーフェクトな正解ではありません。
文法に非常に厳しい方の中にはこの表現は誤りだと感じる人もいるかもしれません
(私はとあるネイティブスピーカーに聞いてわかりました)。
ですが、だからと言ってこの問題が出題ミスだということにはならないんですね。
それはなぜか。
問題文をよく見てください。「最もふさわしいものを」って書いてありますでしょ?
大概の問題はそう書いてあるはずです。
誰も、「1個の選択肢がパーフェクトで他の選択肢が全く使えない」とは言ってないんですよ。
表現として適切な度合が一番高いものを選べと言っています。
つまり程度の問題、白か黒かではなくて濃さの問題なんです。
(もちろん、はっきり白黒ついていると言い切ってもいい問題の方が多いです)
言語というものは、生身の人間が生活の中で使っているものです
言葉の使い方が変わってきて「最近の若者の言葉遣いは・・・」というのはいつの時代も起こるものです。
絶えず変化します。
文法というのは生きた言語をうまく説明するためのもので、文法が先に存在したのではありません。
そんなものに絶対的な正しさや間違いなんてものは本来存在しないのです。
(濃度差があまりにも歴然としているために「正しい」「誤りだ」と言い切ってもいいくらいのものもたくさんあるというだけです)。
ところが入学試験というものは白黒はっきりつけなきゃいけません。
そこで一つの尺度となるのが「容認度」という考え方です。
この容認度というものは「どれくらいの割合の人がその表現を容認する(正しいと認める)か」というものです。
明確に数値化することもあるし、比較して高い低いを言うだけのこともあります。
さっきの問題に当てはめてみると、これは実際にネィティブの方に聞いてみた(その人の)数値なのですが、
a. c.の容認度は限りなくゼロに近く、b.が20くらい、dが80くらいだそうです。
(ちなみに、", the title of which"が限りなく100に近く、見えないくらいの差で"with a title which"と"whose title"が続くくらいのイメージです)
d.は100であると言い切るには及ばないが、他の選択肢よりも明らかに高いので、
d.を正解とした慶応の出題は間違っていないということになります。
なんでこんな話をしたのかというと、
SNSなどでよく見かける英語学習者の質問にちょっと違和感を感じていたからです。
「他の選択肢はどうしてダメなのか」
「他の選択肢でも通じるのではないか」
はっきりダメと言い切っていいようなものもありますし、
その選択肢でも通じるしダメとも言えないかなという微妙なものもあります。
「この選択肢の言い回しは不自然ではないか」
どうして「ダメ」「正しい」と言い切れるのかを理屈で明確に言えるものもありますし、
単に皆がそう使っている/使っていないからというだけのものや、
先ほど触れた「容認度」の差でしかないようなものもあります。
英語史を遡らないとうまく説明できないようなものもあったりします。
間違った選択肢を深掘りすることに意味があることもあるし、
全くないこともあるんです。
結局何が言いたいのかというと、受験生は時間が限られていますから、
そんな非生産的なことにエネルギーを使うべきではないということです。
指導者がいるときに指導者がときどき深掘りしたりするのはそれに意味があるとわかっているからやっているわけですが、
自学自習の時は一定の答えが出るまで区別がつきません。
だから自学自習するときは、間違った選択肢を深掘りするよりも、
正解の方の理屈を理解したり、表現として覚えたりすることに集中すべきなんです。
そして少しでも多くの良質な英文に触れて、たくさん問題を解いてください。
迷ってるヒマなんてありません。
それが英語で成果を出すための王道です。