(図解画像制作中)
こんにちは。
オンライン授業のクエスタオンライン、
福井県坂井市春江町の学習塾クエスタ塾長の大村です。
当塾では開業当初から「読解力」に着目し、
無学年式の専門講座を開講していますが、
先日、アベマTVに新井紀子先生がご出演され、
読解力とRSTに注目が集まっています。
アベプラ公式チャンネルより↓↓↓
ということで、今日のテーマは「ゼロ照応」について。
この動画でも取り上げられ、
正答率が低いことで有名な「アミラーゼ構文」読み解きのカギにもなるものです。
ゼロ照応の前に照応の話をしましょう。
照応とは、簡単に言うと、文や文章の中で、
ある言葉が別の言葉や、
その文脈で話題になっている事柄を
「指し示す」関係にあることを言います。
照応の「照」は「照らし合わせる」の「照」。
照応の「応」は「対応させる」の「応」。
つまり、言葉と言葉を照らし合わせて対応させるのが照応です。
例えば、こんな文を考えてみましょう。
「山田さんは医者です。彼は地域医療に貢献しています。」
この文の「彼」という言葉は、誰を指しているでしょうか?すぐに「山田さん」だと分かりますよね。「彼」は、前に出てきた「山田さん」を指し示しています。このように、「彼」を使って、前に出てきた言葉や内容を指し示す関係、これが「照応」です。
照応には「彼」「彼女」「それ」「これ」「あれ」のような代名詞がよく使われます。「田中さんは本を読んだ。それはとても面白かったらしい。」という文では、「それ」が「田中さんが読んだ本」を指し示していますね。
私たちが普段何気なく読んだり聞いたりしている文章や会話の中には、このように様々な「照応」の関係が隠れています。そして、「ゼロ照応」は、この「照応」の、さらに特別な形です。
ゼロ照応、それは、何かを指し示す際に、
言葉を何も置かない(ゼロ)のに、
その「ゼロ」の部分が、
文脈中の特定の要素や状況と
「照応」している(指し示している)現象のことです。
例えば、友達との会話で
「お腹すいたな。何か食べたいな。」
と言われたとき、
「(相手が)お腹すいたんだな」、「(相手が)何か食べたいんだな」と、
主語がなくても自然に意味が分かりますよね。
また、「この本、面白かったよ。もう読んだ?」と聞かれたとき、
「もう読んだ?」には「何を」に当たる言葉が見当たりませんが、
「(この本を)もう読んだか」という意味であることははっきりと分かります。
このように、言葉が現れない(ゼロ)のに
間違いなく何者かを指し示している。
これがゼロ照応です。
いくつか具体的な例を見て、
この多様な「ゼロ照応」の働きを感じてみましょう。
例の中の「Ø」は、ゼロ照応によって解決される、
表面に出てこない言葉の存在を示しています。
例1:主格のゼロ照応
Aさん「昨日、山田さんに会いましたよ。」
Bさん「あ、そうなんですね。Ø 元気でしたか?」
→ Ø は「山田さんは」(主格)と照応。
文章例:「会議は予定通り進んだ。Ø 午後には終了する見込みだ。」
→ Ø は「会議が」(主格と照応。
例2:対格のゼロ照応
会話例:「ねえ、この問題分かる? ちょっと Ø 教えて欲しいんだけど。」
→ Ø は「この問題を」と照応。
会話例:「昨日作ってくれたカレー、美味しかったよ。また Ø 作って!」
→ Ø は「昨日作ってくれたカレーを」と照応。
例3:場所・方向・相手など(「~に」に相当)のゼロ照応
会話例:「今、駅に着いたよ。これから Ø 向かうね。」
→ Ø は「(あなたのところ/目的地)に」と照応。
会話例:「A部長にご相談があります。Ø 明日お会いできますでしょうか?」
→ Ø は「A部長に」と照応。
例4:共同者・対象など(「~と」に相当)のゼロ照応
会話例:「このプロジェクト、Ø 一緒にやらない?」
→ Ø は「私と」と照応。
例5:その他(「~から」「~で」など)のゼロ照応
会話例:
A「Cから連絡あった?」
B「Ø電話あったよ。」
→ Ø は「Cから」と照応。
これらの例から分かるように、
ゼロ照応は特定の文の成分だけでなく、
様々な意味役割を持つ部分で柔軟に起こります。
そして、その「Ø」の部分が何を指しているかは、
直前の文脈、会話が行われている状況、
話し手と聞き手の間の共通認識など、
多様な情報源と「照応」することによって初めて明らかになるのです。
日本語にはこの「ゼロ照応」が息をするくらいのレベルで頻繁に起こるという厄介な特徴があります。
この「ゼロ」が頻繁に登場するということは、
話し手や書き手は、
言いたいことのすべてを言葉にせずとも
コミュニケーションが成立する前提があるということです。
そして聞き手や読み手は、書かれていない、
あるいは話されていない「ゼロ」の部分に、
どのような言葉が隠されているのかを、
文脈や状況から推測し、正確に補う必要があります。
これこそが、日本語でよく言われる「行間を読む」ということの、一側面です。
しかし、この「ゼロ」は、何でも自由に省略していい、
あるいはどのようにでも解釈していい、
というわけではありません。
文脈や日本語の構造、
そして話し手と聞き手の間の常識や共通認識に基づけば、
「ゼロ」の部分に入るべき言葉は、
多くの場合、一つに定まります。
つまり、「ゼロ」であるにも関わらず、
そこには「正しい使い方」と「正しい読み方」が存在するのです。
もし、書き手がこの「ゼロ」の「正しい使い方」を心得ていないと、
意図しない形で曖昧さが生じたり、
伝えたいことが読み手に正確に伝わらなかったりします。
同様に、読み手がゼロ照応の「正しい読み方」、
すなわち文脈から省略された言葉を的確に補う能力を持っていないと、
文章や会話の内容を誤って理解してしまうことになります。
厄介であると同時に、日本語の柔軟性や効率性、
「行間を読む」奥ゆかしさの源泉でもあります。
必要な情報だけを提示し、残りは文脈に委ねる。
言語化が難しい内容をあえて言語化せずに
文脈に委ねて提示するという、
魔法のようなことも可能になります。
この「委ねる」という感覚が、
和歌や俳句などに代表されるような日本語の持つ独特のリズムや、
柔軟な表現を支えています。
また、すべてを言葉にしないことで生じる余白には、
独特の奥ゆかしさが生まれます。
正しく読み書きする上でも重要であり、
美しい表現を生み出すためにも重要なのがこのゼロ照応というわけです。
今回話題に上がった「アミラーゼ構文」を、
「ゼロ照応」の観点から読み解いてみましょう。
アミラーゼという酵素は
グルコースがつながってできたデンプンを分解するが、
同じグルコースからできていても、
形が違うセルロースは分解できない。
この文脈において、
以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを
選択肢のうちから1つ選びなさい。
セルロースは( )と形が違う。
(1) デンプン (2) アミラーゼ (3) グルコース (4) 酵素
※新井紀子著『AIvs.教科書が読めない子どもたち』より
まず、文の構造を正しく読み取り、
この読みにくい文の贅肉を削ぎ落とすことから始めます。
こういうときのお約束で、まずは述語から特定します。
当然のように文末の「分解できない」が述語ですね。
次に、主語を探します。
分解するという動作の主体は何かと考えれば、
「アミラーゼという酵素」になるので、
「アミラーゼという酵素は」が主語です。
「アミラーゼという酵素は」と主語述語の関係にある文節がもう一つあります。
「分解できるが」です。
つまりこの一文には
「アミラーゼという酵素は~~~分解できる」
「アミラーゼという酵素は~~~分解できない」
という2つの構造があるわけです。
しかし、これだけだとなんだかちょっと足りない感じがします。
「何を」分解できる/できないのかという情報がありません。
「デンプンを」と「セルロースは」の部分がそれに当たります。
「アミラーゼという酵素はデンプンを分解するが、セルロースは分解できない」
これで文の贅肉を削ぎ落とした状態が出来上がりました。
※なお、この文を作った教科書の著者が伝えたい内容は、
この部分のみから読み取ることはできませんので、
その意味での「贅肉」ではありません。
あくまで、一旦文章の骨組みのみにして読めるようにしましょうということです。
これでかなりわかりやすくなったでしょう?
しかし、問題にされている「セルロースは何と形が違うか」はここには含まれていません。
そこで更に残りの部分を見ていきます。
まず、「グルコースがつながってできた」は「デンプンを」にかかっています。
「形が違う」は「セルロース」にかかって詳しくしています。
残りの「同じグルコースからできていても」が少しわかりにくいのですが、
この接続助詞の「ても」は前半の条件が成立すると、
後半の結果が起こるだろうという期待に反して、
後半の結果が起こらないという関係を結ぶ役割を果たしています。
つまり、「同じグルコースからできていても」は、
「形が違うセルロースは分解できない」につながっています。
(ちなみに、「同じグルコースからできていても形が違う」を
一塊にして読んでいる方もいるようですが、
「ても」のあとに読点があるのでその読み方はできません)
ここまで来ると1つわかることがあります。
「同じグルコースからできている」のも「形が違う」のも
「セルロース」のことを言っているのだということです。
これで、文に書かれている言葉同士のつながりが明らかになりました。
しかしここまで来ても、まだ何かが足りないことにお気づきでしょうか。
「同じ」というのも「違う」というのも何かと比較して「同じ」「違う」と言うわけですが、
その「何と」の情報が直接書かれていません。
そしてその「何と」セルロースの「形が違う」かが問われているのがこの問題で、
このような場合に読解のカギになるのが今回の「ゼロ照応」というわけです。
「何と」の省略が2回連続で起こっているわけですが、
この場合2回目に省略されたものは1回目に省略されたものと間違いなく同じです。
もし2回目の省略が1回目と違うもの指しているなら、
2回目はちゃんと書かなければ分かりっこないので、
省略なんてできないからです。
つまり、今回の問題の答えは、
「セルロースが何と同じでグルコースでできているのか」の答えと同じということになります。
グルコースでできていると言及があるのはデンプンだけなので、答えはデンプンと決まるというわけです。